ハンス J. ウェグナーが1963年に発表した『CH07』。そのフォルムから「シェルチェア」とも呼ばれるこの椅子は、発表された当時の時代には早すぎるほどの前衛的なフォルムと構造でも知られています。
三本脚、浮遊感のある座面、そしてまるで彫刻のように有機的なカーブ。その独特な存在感は、発表当時こそ理解されなかったものの、1990年代にカール・ハンセン&サンによって復刻されて以降、現代のデザイン愛好家や建築家たちに再評価され、今やデンマークデザインを代表する名作椅子のひとつとなっています。
その美しさの背景には、高度な木工技術と素材への深い理解、そして持続可能な未来を見据えた哲学が息づいています。
有機的フォルムを支える素材選び
シェルチェアの最大の特徴は、波打つようなシェル型の座面と背もたれが生み出す、流れるような曲線美にあります。この複雑なフォルムを実現するためには、素材そのものが持つしなやかさと強度、そしてそれを制御できる高度な成形技術が不可欠です。
この椅子には、積層成型合板という特殊な木工技術が用いられています。これは薄くスライスした木材(単板)を、樹脂接着剤を用いて重ね合わせ、強力な圧力と熱をかけながら立体的に成形する手法で、結果として、厚みがありながらも柔軟で、衝撃やねじれにも強い曲面を作り出すことができます。
カール・ハンセン&サンでは、製品の90%でオーク材やウォルナット材など、FSC®認証を受けた持続可能な森林資源から採取された木材を使用しています。木目の美しさはもちろん、樹種ごとに異なる硬さや色味を理解したうえで、製品に最適な材が選定されており、その工程には熟練の職人の目と、長年の経験が欠かせません。
一脚に込められた100以上の工程
シェルチェアは、その大胆なフォルムとは裏腹に、極めて繊細な工程を経て完成されます。特に脚部と座面の接合には高精度の木工加工と手仕上げの技術が求められるため、大量産が難しい家具のひとつとされています。
また、1脚のシェルチェアには、100以上の製造工程が存在しているとも言われており、多くは熟練した職人の手によって行われます。積層合板のプレス成形、フレームの削り出し、エッジの研磨、接合部の調整、そして塗装やオイル仕上げ。どの工程も一つでも手を抜けば、この椅子特有の「浮遊するような軽やかさ」は損なわれてしまいます。
この椅子を特徴づけている要素のひとつが、背もたれと座面の一体感なのではないかと思いますが、この視覚的には宙に浮かんでいるようでありながら、身体をしっかりと包み込むという構造は、人間工学に基づいた計算の上に成り立っています。そして、このバランスを実現できるのは、素材の特性を熟知したクラフトマンシップのなせる業なのです。
サステナビリティへの姿勢
の家具づくりの中心には、常に「よいものを、責任を持って、長く使う」という理念があります。それは100年以上続くデンマークの家具メーカーとしての誇りであり、環境と人に対する真摯な姿勢でもあります。
そのため、使用する木材の大半はFSC®認証を受けており、持続可能な森林管理を支援しています。こうした動きは日本国内でも広がっていますが、そうした世界的な流れを作る役割を、カール・ハンセン&サンも担っています。また、加工の際には資源の無駄を極力減らし、端材も燃料や小物家具へと再利用されています。さらに工場ではグリーン電力を使用することで、CO₂排出削減に向けた取り組みも進められています。
そして、最も注目したい点が、シェルチェアに限らず、カール・ハンセン&サンの家具は「使い捨て」ではなく「次の世代へ受け継ぐ」ことを前提に設計されていることです。耐久性に優れた構造、修理可能な設計、普遍的なデザイン。こうした姿勢は、近年の世界的なサステナブル・デザインへの関心の高まりとも強くリンクしています。
大量生産・大量消費の時代から、循環型・責任ある消費へとシフトする動きは、近年、ファッションや食品だけでなく、建築やインテリアの分野でも加速しています。グリーンビルディング、ゼロウェイスト、ライフサイクルデザインといったキーワードが注目される中、カール・ハンセン&サンは、すでに数十年前からその思想を体現してきたのです。
時代を超える椅子が語るもの
シェルチェアは、見た目のデザイン性の高さだけでなく、長時間の着座にもしっかりと応える実用性を持ち合わせています。また、そのシンプルな美しさはラウンジ、ホテル、住宅、ギャラリーなど、設置される場所を選ばず、それぞれの空間に「静かな個性」を与えられる稀有な存在です。
何よりも、製品そのものが「長く使い続けられること」を前提に設計されているため、張地やパーツの交換も可能となっており、メンテナンスを施すことで何十年にもわたって使い続けられることができます。まさにこれこそが、本質的なサステナブルデザインの姿と言えるのではないでしょうか。
そして何より、この椅子は「デザインは人の手によって生まれ、未来へ引き継がれていくもの」であることを体現しています。カール・ハンセン&サンのクラフトマンシップとサステナブルな精神は、まさにこのシェルチェアに凝縮されていると言っても過言ではありません。
未来への美しい選択
シェルチェアは、ハンス J. ウェグナーの革新性と、カール・ハンセン&サンのものづくりの誠実さが出会って生まれた名作です。自然素材の魅力と精緻な技術、そして未来への責任を見つめた哲学、そのすべてがこの美しい三本脚の椅子に込められています。
また、今日においてシェルチェアを選ぶということは、単なる審美眼からの選択だけにとどまるのではなく、サステナブルなxライフスタイルとしての意志表示にもなり得ます。環境に配慮し、職人の手仕事を尊重し、使い捨てではなく「使い継ぐ」ことを前提とした生き方。それは今、世界が目指すべき方向であり、同時に私たち一人ひとりが日々の選択を通じて築いていける未来なのではないでしょうか。
ただ座るためだけではない。人と空間、自然と技術、過去と未来をつなぐ椅子。それが、シェルチェアなのです。